床屋の裏話

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2010 / 7 / 26 , 22:02

尻尾が面白いよ!

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パンチ水浴びに行ってきました。パンチ君、凄い嬉しいのか尻尾の動きがよく見てると笑えます!

2010 / 7 / 24 , 23:20

静岡市 広野公園

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難破船の遊具で 有名な広野公園です。今年の夏は 本当に暑く!パンチの散歩も陽が傾かなければ 行けません。熱中症にはくれぐれ 気をつけてください。

BobbyShad & TheBadMenからI  Want You Back

こちらも73’メインストリーム盤!

 

2010 / 7 / 20 , 22:10

静岡市 登呂遺跡 

 

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パンチ散歩してきました。ぅが!画像はノイズが凄いです。

 ポールジェフリーベンのテーマです。 チャックレイニー デビットT ジョーサンプル74年 メインストリーム盤から! 

2010 / 5 / 10 , 23:26

アナーキーパンツ!

 毎朝6時45分頃 目を覚ます。惚けた頭で廊下を進みリビングで朝食をとる。しかし この朝は違っていた。目を覚まし廊下を進むと昨夜 廃棄するため置いたスピーカーを忘れていた。もうお気づきかと思うが その通りである。爪先を打つけ『っ痛ぇ〜』とおもいっきり叫ぶが小声である。あまりに痛くて声も出ないのである。『誰だ〜ここにスピーカー置いたのは!』しまった!俺か!

 

 

 両手で片足を押さえ片足で廊下をケンケンで進む。 いつも 開けぱなしのリビングのドアが ピョンと跳んだ私に向かってサッと閉まった。ドアと頭がアメリカンクラッカーしてしまった。グゥワ〜ンと目の前が揺れる 爪先は痛いは 頭は回るは最悪の朝である。 

 

 

 なんとかテーブルにつきコーヒーを一口すすると なんと言う事だろう!砂を口にしてしまったかと間違える程であった。口の中はコーヒーの粉でいっぱいになっていた。文句を言おうと思った瞬間 女房が『ごめん!コーヒードリップしか無くてお湯入れすぎちゃった。こぼれちゃったんで床を拭いてたのよ〜それで ドアを閉めたらあなたと鉢合わせしたってわけ!ごめんね!』と言われ 文句を言う気もあせた。それよか今日は何か変だ!一日 冷静に過ごそうと自分に言い聞かせるのであった。 

 

 

7時10分過ぎ ようやく朝食もすみ 洗面台に向かう。鏡の前にたち姿を見る 頭髪が温泉マークの様に毛が三本浮いているって感じである。この日は どうした事か笑えて来た。『ぅわははは〜アハハハ〜!おもしれぇ〜!』女房に見てこっと言うと 女房が『いつもと同じよ どこが面白いの?』っへ!?そうか同じか! 

 

 

7時40分 店に自転車で向かう。マイペースでルンルン気分で車輪を廻す。五月 遊歩道の脇にはツツジが奇麗に咲いて春を感じさせてくれる。鼻歌なんか口ずさんで さっき起きた不幸なんて忘れ店に着く。店支度もすみ 一息入れると

もようしてきた。便座に座りふっと見ると なんと降ろしたばかりのパンツに穴が開いているじゃあ〜りませんか!うわ〜最悪 今日一日穴空きパンツかよ〜!

2010 / 4 / 12 , 18:48

上を向いて歩こう!

 七ブラと言う言葉が、静岡の街で まだ好く使われていた時代 昭和40年初頭である。 首都 東京では 高度成長 真っ盛り これに漏れず静岡も景気はうなぎ上りであった。市内七間町が 昼夜 賑わいを見せていた。東京銀座の銀ブラにあやかり 七ブラ 銀座とは比べ物にはならぬが っま!田舎町の中では一番の繁華街 そう言いたくなるのも解らなくはない。今では 懐かし言葉の一つである。   

 

 そんな40年代 自分が小学校入学の春だったと 霞がかった記憶から思い出す。中田一丁目に親父が開業して10年。 まだ家の前には水路が通っており裏の通りには桜の大木が一本 近所には小川があちらこちらに流れていた。 

 

 お店の洗髪は瞬間湯沸かし器であったが  店裏側の居住水回りは 薪を使っていた。弟には記憶がないだろう 自分は薪割り 炊事 風呂炊きの薪くみを手伝った事を憶えている。まさに三丁目の夕日ではないが 一丁目の夕日である。この頃 良く口ずさんでいたのが『上を向いて歩こう』であった。子供ながら辛い時はよく唄っていた。この唄も流れ始めて数年が経っているのにテレビでも放送せれていたと記憶する。

 

 

   南幹線通称カネボウ通りも 舗装されておらず三輪トラックが砂埃をあげ走りまくっていた。あの当時は子供があふれガキ大将について遊ぶのが常である。僕ら子供同士は 信号機もない幹線道路をトラックが走り去った後 赤土の煙幕を体中にあび横断するのである。10メートルもない道路ではあるが 子供である自分には一つの冒険のようだった。渡り終えた向こうには駅南銀座という僕らには最高の商店街が広がっていた。映画館 玩具や 駄菓子屋 本屋 まるで夢の街である。 セピアカラーの写真を見る様に あの商店一店一店が 浮かび上がる。  

  

 

 高度成長時代と言えども 子供である私は 食べ物には飢えていた。あの頃は家族 職人と十数人が一つ屋根の下でくらしていたので 食事で満腹感は得られなかった。 親父が 七ブラに出かけるのを待ちこがれていた。 小料理屋には何回か連れて行ってもらい味をしめていた。子供でも あの串焼きと酒燗の匂いはそそるものがある。

 

   忘れもしない春の夜、親父が 3歳になった弟と自分を連れいつもの様にでかけた。おいしい物にありつけると 喜んで付いて出たが その夜は 食べ終わった後 タクシーで兄弟二人 家の前で降ろされた。 残された二人であったが、家の前 誰か 鍵を開けてくれるだろうと ドアの前で 大声をあげた!『帰ったよ〜開けて〜!』数回は 叫んだであろう!しかし 何の反応もない 家は 人の気配もなく電球の光も零れてはいない 誰もいないと気ずく。この時点で 少しへこんだが 鍵の置き場所は知っていたので 月明かりで探る。なんども探ったが、 無い。ここで 完全にへこんだ!  

 

少し前から弟が泣き出していた。  我慢していた自分も 寂しさが込み上げ涙があふれた。兄貴ぶり 泣き顔を弟に見せたくないので天を仰いだ。夜空は明るく いつしか「上を向いて歩こう』を口ずさんでいた。三十分位であったが 母親 職人さんと家に帰って来た。理容講習会で全員で出かけていたのである。 

 その時の寂しさと裏通りの月明かりに照らされた桜が今も心に残る。    

 

駅南銀座も店が様変わりし 幹線道路も新しくなり 親父も逝ってしまったが 今年の春も裏の桜は満開に花を咲かせて いる。何十年 中田を見て来たんだろう!pap_0011.JPG

 

 

 

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